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カワイオカムラ、
この本の主人公について

福永“スーパースター”信/尹志慧・訳

『仮面ライダーアマゾン』は、日本の子供たちを魅了し熱狂させた1970年代のヒーロー番組の一つである。仮面ライダーシリーズは週に1回放送された実写アクションSFドラマで、漫画の歴史に大きな影響を及ぼした伝説の作家、石ノ森章太郎の原作である。シリーズ4作目である『アマゾン』は、6ヶ月間という短い放送期間にもかかわらず、今日に至るまでファンの間で高い人気を誇る作品だ。仮面ライダーは日本の子供から、そして大人からも例外的な人気を集めた/集めているスーパーヒーローだ。本シリーズは、日本の普通の青年が仮面ライダー──特有のポーズと叫びでスーパーヒーローに、偶然と宿命を背負って「変身」し、スーパーパワーを使って「怪人」と戦う主人公──として、悪の組織に立ち向かうという構造の上に成り立っている。ライダーたちは常にカッコいい仮面と特殊スーツを着用し、彼らの名前「ライダー」の由来でもある専用バイクに乗る。最初の『仮面ライダー』の人気が高まり、その後、『仮面ライダーV3』、『仮面ライダーストロンガー』、『仮面ライダースーパー1』など、シリーズ化した。このフランチャイズは今も制作を続けており、「平成仮面ライダー」と呼ばれるシリーズも生まれた。平成は日本の現在の元号で1、1989年1月8日、第125代の明仁天皇の即位とともに始まった。日本では、元号というシステムが特に公的な書類を中心に一般的に使われており、この文章を書いている2017年は平成29年にあたる。2016年/平成28年には、明仁天皇が「お気持ち」という生前退位の意向を表明し、多くのメディアが注目した。なぜなら、皇室典範には生前退位に関する規定がないからだ。平成の前の時代である昭和は、1989年(昭和64年)の裕仁天皇の崩御とともに幕を下ろした。1971年/昭和46年に始まった先代の仮面ライダー番組は、「平成仮面ライダー」シリーズと区別するために、「昭和仮面ライダー」シリーズと懐古的な名前で呼ばれることもある。1974年/昭和49年に放映が始まった「仮面ライダーアマゾン」もこの昭和仮面ライダーに属する。

『仮面ライダーアマゾン』は、「昭和仮面ライダー」と「平成仮面ライダー」を含む全シリーズの中で極めて独特な設定のドラマであり、全仮面ライダーの中で最も謎に包まれた人物である。主人公は幼い頃に飛行機事故でアマゾン雨林に取り残され、そこで育った。ターザンのような姿で文明にも馴染んでいない彼は、青年になり、母国の日本に戻ってくる。テレビ番組の他の典型的なヒーローとは違って、孤独な存在で華やかさはなかった。また他のライダーたちと異なり、専用バイクに乗っているときのカッコよさや、子供には絶対真似できないアクロバティックで優雅なライダーキックをアマゾンは持っていない。変身前の日常ではいつもダサい短パンを履いていて、彼の必殺技には子供にも簡単に真似できる噛みつきが含まれる。アマゾンは子供が自転車に乗るようにバイクに乗るし、しょっちゅうクレージーな叫び声を出しながら暴れるのは普通の子供と変わらない。他のライダーとは趣の異なる姿のアマゾンは、カッコよさを第一にする昭和の子供たちの目に不思議に映ったかもしれない。だが、きわめて親近感のあるヒーローだった。

カワイオカムラは、川合匠と岡村寛生によるアート・ユニットで、1993年に《AMAZON》という作品で日本の現代アートシーンにデビューを果たした。絵が描かれている表面を照明が内側から照らしているライトボックスと、両側からそれを挟んでいるレリーフのような真っ赤な立体文字「AMA」と「ZON」で構成される作品である。ライトボックスは油画を専攻した岡村が、文字のレリーフは彫刻を専攻した川合が制作した。ライトボックスに描かれているのは、歯を食いしばり、苦しみの中で泣いている青年の顔で、変身前の『仮面ライダーアマゾン』の主人公そのものであり、本作品のタイトルもこの番組に因んでいる。もちろん本作品は、あの巨大オンライン書店が事業を展開する前に制作されたものである。

  • Amazon (1993)

カワイオカムラのこのデビュー作が、仮面ライダーシリーズの中でも『仮面ライダーアマゾン』を主題にしていることは重要である。カワイオカムラの《AMAZON》は美大生による自主企画のグループ展で初めて公開された。観客の大半が作家の知人であるこのような自主展には、若手作家たちが内輪にのみアピールできる作品を持ち込む傾向があり、手っ取り早く好意的なリアクションが暗黙のうちに期待されている。しかしカワイオカムラは、昭和の子供によく知られていた懐かしきスーパーヒーローを単に主人公にしただけではなく、「この国にいる孤独な誰か」として描写した。この国にいる孤独な者は、『仮面ライダーアマゾン』の主人公のみではなかったし、他にもいるだろうと思われた。そもそも、カワイオカムラもそんな「孤独な誰か」の一人だった。彼らは現代アートという、西洋の影響が非常に大きいフィールドで作家活動を始めたため、苦しみの中で泣いているアマゾンの顔には、カワイオカムラが当時置かれていた状況がそのまま反映されていると見なしうる。自らが育った文脈から断ち切れて、「ここで活躍しろ」と要請されている者の苦悶の表情とでもいうべきか……。要するに、《AMAZON》はある意味でカワイオカムラの自画像であったのだ。

毎週仮面ライダーを視聴していた子供たちを最も魅了したのは、普通の人間がスーパーパワーを持った奇妙な外見のライダーになる、主人公の「変身」プロセスだった。カワイオカムラも一度変身を遂げたことがあり、それは日本のアートファンを驚かせた。彼らは1995年に《スーパースター》という、高さ3メートルを越えるライトボックスの作品を制作・展示した。2年間の沈黙を破って開催した初めての個展「オーバー・ザ・レインボウ」(1997)は、映像作品のみで構成されたものであった。そこから続く2回目の個展「四角いジャンル」(1999)、そして本展覧会2で上映中の最新作「ムード・ホール」を通して、カワイオカムラは徐々に彫刻/絵画ユニットではなく、映像ユニットとして認識されるようになる。より明確にいうならば、『コロンボス』が第53回クラクフ映画祭国際短編部門アニメーション最優秀賞(2013)、及びアルス・エレクトロニカフェスティバルで栄誉賞(2014)を受賞し、世界各国の映画祭で上映の機会を得たあたりで、カワイオカムラは「映像作家」として認識されるようになった。彼らは1995年以後、ライトボックスの作品を制作していない。彼らは彫刻/絵画ユニットから映像ユニットへの変身を完全に済ませたのだ。

  • Over the Rainbow (1997)
  • The Man of the Genre Mountains (1999)
  • Mood Hall / Mood Hole (2016)
  • Columbos (2012)

もっとも、カワイオカムラの作品制作にかかる時間は、その後も減ることなく増え続けている。映像ユニットになったが、手作業を手放しはしなかった。その意味では変身してなお彼らの態度は、ライトボックスの作品を作っていたあの時代と何ら変わることはなかったと言える。さらに、カワイオカムラが本来持っていた彫刻と絵画を融合させた技術は、映像という完全に新しいカテゴリを見つけた。モデル・アニメーション制作において、川合が人形を制作し、岡村が着彩するが、どちらもきめ細やかな作業であり、そのまま展示されてもよいほど、入念に仕上げられたものである。川合と岡村、または彫刻と絵画との組み合わせは、より複雑に絡まりあいながら、リアルで物質的な世界から映像の中へと、その領域を変えたのである。

カワイオカムラは、共同作業の過程を明かしていないが、作品から推測すると、脚本を書き、撮影・編集を行い、音楽をつける作業において、完全な分業はなされていないようだ。二人の共同制作を、彼らが好きなポップカルチャーのジャンル、プロレスのタッグチームと比べて考えてみるのも一つの方法である。レスラーのタッグチームは、二人が単なる足し算になる場合と、二人の掛け算によって部分の総和よりも大きい全体が生み出される場合の二つに分かれる。この観点からみると、カワイオカムラの初期のライトボックスの作品は足し算であった。しかしながら映像作品においては、二人の能力が掛け合わされることになり、より複雑で面白いものが創り出されている。この掛け算のコラボレーションのゆえに、作業量と制作にかかる時間もまた著しく増えた。この事実は仮面ライダーをもう一度想起させてくれる。変身を遂げた後のライダーたちは、限られた時間内に怪人を撃退するため、技術とエネルギーを全て絞り出しながら戦う。そして、時間のない中で一生懸命に戦えば戦うほど、彼らを見つめる子供たちの目は輝き、より一層、力強くテレビ画面を見つめた。それと同じく、カワイオカムラの展覧会を訪れる観客の目もきっと輝きに満ちていただろう。

カワイオカムラは作品制作をしばしば人形遊びに喩える。ミニチュアセットの中に人形を配置し、少しずつ動かしながらコマ撮りする彼らのアニメ作品は、確かに人形遊びに似ている。また、仮面ライダーフィギュアで遊んでいた子供の頃の私たち、放課後のグラウンドで仮面ライダーごっこをしていた私たちを想起させる。映像ユニットとしてのカワイオカムラの特徴は「遊び」の精神にあり、彼らは未だに懐かしきあの頃の中にいるように思われる。『仮面ライダーアマゾン』や『オズの魔法使い』、『刑事コロンボ』、『四角いジャングル』のようなテレビ番組、映画、マンガを楽しんでいた、あの黄金の幼年時代の中にどんなに長く留まっていても、私たちは大人の世界にいる大人の自分を発見することはできない。それでいい。カワイオカムラはそう言っているように思える。彼らは、この世界にほんとは大人など、どこにも存在しないことを知っているからだ。そう、地球上に誰一人として大人は存在していない。現代アート界の仮面ライダーアマゾン、懐かしき幼年時代に通じる世界のどこかにカワイオカムラが居続けている理由は、このようなところにあるに違いない。

  • Superstar (1995)
    Photo: Yasushi Ichikawa

このテキストは海外の読者へ向けて、カワイオカムラをわかりやすく紹介するため、福永“スーパースター”信が日本語で書いたものを秋元孝文が英訳し、展覧会カタログ『カワイオカムラ ムード・ホール』(2017)に発表した「About Kawai+Okamura, the Protagonist of This Book」の全訳である。海外の読者を念頭に置いた文章であるにもかかわらず、仮面ライダーだの元号だのわかりにくい要素が入っている理由は不明。著者の福永“スーパースター”信は、同カタログの編集者である。今回の日本語版は、このパンフレットのために尹志慧が秋元による英訳から和訳したものである。なお、訳注を新たに付した。[編]

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本稿の英訳文が所収されている展覧会図録『カワイオカムラ ムード・ホール』(2冊組)は2017年に刊行された。

展覧会図録『カワイオカムラ ムード・ホール』

『仮面ライダーアマゾン』のオープニング・テーマやあの特有の変身ポーズは、YouTubeで見ることができる。興味のある方はチェックしてもらいたい。

他のライダーたちはカッコいいベルトをつけ、変身の際には「変身!」と叫ぶのだが、アマゾンはそれほどイケてないベルトをつけ、奇妙にも「アー・マー・ゾーン!」と叫ぶことで変身する。

「オーバー・ザ・レインボウ」は、言うまでもなく『オズの魔法使い』の中でジュディ・ガーランドが歌う歌と同じタイトルだ。展覧会会場であった「アートスペース虹」から取ったものとも推測できる。作品そのものは、アニメというよりは自作の実写映像を素材に使った、映像コラージュという側面が強い。

展覧会名「四角いジャンル」は、梶原一騎がストーリーを担当したマーシャル・アーツについての劇画、「四角いジャングル」から。日本語の「ジャンル」と「ジャングル」は一文字だけが違うが、意味は全く異なる。カワイオカムラはこれに惹かれて、展覧会名をつけた。「四角いジャングル」は、格闘家やプロレスラーが立つリングのことで、一方の「四角いジャンル」は、絵画や映像のように、必然的に四角のフレームの中で表現される様々な芸術ジャンルを指す。《四角いジャンル》はセルアニメやモデル・アニメーション、実写などの多様な内容で構成されており、カワイオカムラにおけるキー・ターム「ヘコヒョン」と、重要なキャラクター、Y.I.ロードブレアースが初めて登場する作品である。「ヘコヒョン(Ficfyon)」は、「フィクション(Fiction)」をもじった造語で、カワイオカムラのこのキー・コンセプトは「フィクション」の再定義を促す。

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タイトル「ムード・ホール」はMood HallとMood Holeの両方を意味し、両方のカタカナ表記は同じだ。本作品は今回の展覧会2で初めて公開されるのだが、そのうちの4編のみの公開となる。残りは今後発表される予定で3、カワイオカムラの初めての3DCG作品だ。

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8編ら成る33分33秒の完成版『ムード・ホール』(2019)の日本初公開は、京都・出町座での上映(2020年2月14日–27日)である。

出町座

タイトル『コロンボス』は、ピーター・フォークが主演を務めたアメリカの有名テレビ・シリーズ『刑事コロンボ』から取られた。謎のみの、謎解きのないこのデジタル・モデルアニメーションに登場する刑事役の主人公にそっくりな俳優が出てくる。『コロンボス』の予告編はYouTubeで公開中だ。

川合匠と岡村寛生は二人とも10代のときから音楽に没頭していた。二人は学部生のときに同じロック・バンドで活動した。彼らは映像作品に付ける音楽を自分たちで作ってきたが、2009年以後は音楽家原摩利彦が担当することになる。原の参加によってカワイオカムラの映像作品はもう一度「変身」した。